いま書きたくなったので。

4歳の娘(このブログでは以降「なっちゃん」と呼ぶことにする)が唐突に乱暴な言葉を使ってきた。

「〇〇してねーんじゃねーかよ。」

そこで私はこう言った。
「なっちゃんだって、お着替えするって言ったのにしてねーんじゃねーかよ。どう?乱暴な言葉使われて、なっちゃんは嫌な気持ちにならなかった?乱暴な言葉で怒ってるママ嫌じゃない?」

すると娘は目にいっぱい涙を溜めてこう答えた。
「なっちゃんは全部のママが好き。」

ハッとした。これは私がいつも娘に聞かせている言葉だった。
「ニコニコのなっちゃんも、怒ってるなっちゃんも、泣いてるなっちゃんも全部大好きよ。」

乱暴な言葉は自分も損をするし相手も傷つけるから、やはり私は好きではない。
しかしながら今回言いたいのはそこではなく、自分の怒りの感情を「嫌なもの」と捉えてしまっていることについてだ。

私はここ1ヶ月くらいの間、自分の感情に蓋をせず、喜び・感動・驚き・焦り・不安・怒り・悲しみ…を全て大切な感情として存分に味わおうと決めていたのだが、今回の件で「怒り」の感情についてはまだどこかで「嫌なものである」と蓋をしたままだ!ということに気がついた。

それだけ。

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